症例の概要
60代女性。右側の坐骨神経痛様症状を主訴に来院されました。
症状は股関節後面から側面、大腿外側にかけての痛みです。はっきりとした発症時期の記憶はなく、慢性的に続いている状態でした。
スクリーニングの入口——どこから評価するか
坐骨神経痛様症状へのアプローチを検討するにあたり、今回はまず腰椎機能障害・仙腸関節・骨盤帯(梨状筋を含む)のスクリーニングを軸に評価を進めることにしました。
症状の部位から反射的に「梨状筋症候群」や「ヘルニア由来」を疑うのは自然な流れです。ただ、その前に「今この患者さんの体で何が起きているのか」を検査によって絞り込む必要があります。どこが関与しているかを確認せずに施術に入ると、アプローチが散漫になりやすく、結果の再現性も下がります。
ASISへの圧刺激と、左右差の確認
仰向けでの評価として、上前腸骨棘(ASIS)への圧刺激を実施しました。
ほぼ真上から垂直に圧をかけ、そこにわずかに頭方へ向けて押し込む動作を加えます。組織の硬さと可動性を確認するこの手技は、術者の感覚と患者の感覚を照らし合わせながら進めるのがポイントです。
結果は明確でした。右側——症状が出ている側——に、圧倒的な圧痛と可動性の低下が確認されました。
一方、座位でのPSISスプリングテストでは顕著な左右差は認められませんでした。後方(PSIS)には大きな反応がなく、前方(ASIS)に問題が集中しているという構図です。これをもって、骨盤前方の機能障害を今回の見立ての主軸に定めました。
患者像から見立てを深める
この患者さんは痩せ型で、加齢に伴う肩関節の前方移動——いわゆる巻き肩の傾向が見て取れました。
この姿勢変化は、頭部から体幹外側にかけての筋膜ラインに持続的な張力をかけ続けます。股関節屈曲位での左腰部への痛みも確認しており、股関節自体の関与も念頭に置きながら評価を続けました。ただし、股関節の動きに伴う坐骨神経症状の再現はなかったため、今回の指標は「ASISの圧痛の左右差・機能障害の改善」に絞ることにしました。
複数の可能性をていねいに潰していきながら、施術の軸を一本に定めていく作業です。
遠隔アプローチの検討——なぜ小胸筋なのか
骨盤前方(ASIS)の機能障害が確認できたとき、次の問いは「どこからアプローチするか」です。
右肩の前方移動と骨盤前方の機能的なつながりという観点から、小胸筋(烏口突起・前下縁)への圧刺激がASISの状態に影響するかどうかをまずチェックしました。刺針に入る前に遠隔部位からの反応を確認しておくこの手順は、見当外れなアプローチを避けるためのフィルターになります。
小胸筋部への振動刺激を加えながら約20秒の圧迫を実施すると、ASISの状態に改善の反応がありました。
この確認を経て、刺針に移ります。経穴でいえば中府・雲門あたり、烏口突起周辺から1〜2寸下方を含めた範囲に刺針しました。
施術後の評価
刺針後、ASISへの圧刺激で再評価を行いました。
痛みはほぼ消失。改善率は8割以上。治療開始前に確認していた圧痛の左右差は大きく縮まり、可動性も明らかに改善していました。
これをもって、今回の坐骨神経痛様症状に対する施術を終了としました。
この症例で伝えたいこと
「坐骨神経痛」という症状名を聞いたとき、多くの施術者は梨状筋や腰椎・仙腸関節に意識を向けます。それは間違いではありません。ただ、今回のように骨盤前方(ASIS)の機能障害が遠隔の小胸筋へのアプローチで改善するというルートが存在することも、頭に入れておく価値があります。
「症状が出ている場所」と「原因がある場所」は必ずしも一致しません。
体を見ていく上では、どのレイヤーに問題があるのかという視点も重要です。表層の組織なのか、表層と深層をつなぐ膜状の組織(筋膜など)なのか、深層の問題が表層に波及しているのか——今回は筋膜ライン上での連鎖を仮定したアプローチが奏功しました。
そして、検査でわかることとヒアリングでわかることを掛け合わせて総合的に判断する、このプロセスを繰り返すことが臨床の精度を上げていく。「なぜそのアプローチを選んだのか」を言語化できる施術者でありたいと、改めて感じさせてくれる症例でした。








