症例の概要
50代の患者。現在は月1回のペースでメンテナンス来院中。
主訴は、長時間の座位から立ち上がる際と、前かがみ動作における腰の痛みです。日常生活の中で症状を感じるタイミングは以前と比べて大幅に減少しており、QOLの改善は明確です。ただし慢性的な症状の背景そのものは依然として抱えており、「なくなった」というよりも「うまく付き合えるようになった」という状態に近い段階です。
施術の基本方針は重心調整を中心とし、体性感覚系の機能向上に重点を置いています。症状の発生パターンとして起立筋部や椎間関節の動きとの関連が強いため、バックラインを主軸とした施術を継続してきました。
今回の来院で気になったこと——肋骨角の硬さと「季節の変わり目」
来院時の触診でまず気になったのは、肋骨近くの顕著な硬さでした。
メンテナンス期の患者さんは、ある程度の「通常状態」が把握できています。施術を重ねるなかで、身体の基準値のようなものが蓄積されてくるからです。だからこそ今日の肋骨角の硬さが、「いつもより出ている」という所見として浮かび上がってきました。
問診の中で、患者さん自身から「季節の変わり目だからかな」という言葉が出てきました。
この一言は、見立ての入り口を変えます。気温・気圧・湿度の変動は、自律神経を介して臓器にストレスをかける外的要因です。東洋医学的な視点では、季節の変化が特定の臓腑に負荷をかけると捉えますが、春から初夏にかけての移行期はとりわけ肝臓への影響が出やすいとされています。
右側でのツボのチェックでも、肝臓へのアプローチが有効と判断できる反応が確認されました。この時点で、今回の施術に肝臓へのアプローチを組み込む方針を決定しています。
施術の構成
バックラインと腰椎上位椎間関節への刺針
まずはうつ伏せにて、バックラインへの刺針から入ります。
今回の腰の症状は、起立筋部および椎間関節由来の要素が強い所見でした。傾聴を用いながら腰椎上位(L1・L3付近)の椎間関節部へ刺針します。針先の深さと角度を、組織が示す微細な情報に合わせて調整していくプロセスです。「椎間関節に対して針を当てる」という目標は共通でも、傾聴を用いることで、身体が示す情報に沿った刺針ができます。
肋骨角への是欠(あぜけつ)
続いて、肋骨角付近の緊張に対して是欠(あぜけつ)としての刺針を行いました。
是欠とは、対象部位に直接アプローチするのではなく、その緊張を「引き取る」ような形で設定する補助的なポイントです。今回は肝臓へのアプローチとの組み合わせで機能させることを意図しており、局所的な処置と全身的な介入を一つの施術の中で並走させる設計になっています。
置針後の徒手アプローチ
数分間の置針を経て、再度触診を行います。
肋骨角と、背中側から肩甲骨の下あたりの肋骨部にある硬結をチェック。置針前と比較して変化がどの程度出ているかを確認しながら、必要に応じて徒手によるアプローチを加えていきました。「触って確認し、変化を捉えてから次に進む」という手順を丁寧に踏んでいくことが、メンテナンス期の施術では特に重要です。
中間確認——座位での動作チェック
体位変換の前に、一度座位で動作確認を挟みました。
施術前にチェックしていた前屈時の腰の張り感——痛みとまでは言えないものの、患者さん自身が「いつも感じる」と言っていた感覚です。それがこの時点で完全に消失していました。
「あれ、ない」と気づく瞬間は、施術の成果が最もシンプルに現れる場面です。メンテナンス期の患者さんは身体の変化に敏感であることが多く、施術による変化を自分自身でフィードバックしてくれます。このやり取りは、施術者にとっても見立てを検証する重要な材料になります。
仰向けでの処置と頭部・後頭部への対応
仰向けに移り、経絡における肝経の取穴をもとにした処置を行います。
先ほどの肝臓アプローチの流れを受け、正経からアプローチを整えていきます。あわせて前腕部の神経に対する刺針も実施しました。
問診段階で頭部・後頭部周囲にも反応が確認されていたため、そちらも合わせてチェックし、必要な処置を加えています。慢性的な症状を抱える患者さんは、局所の問題だけでなく複数の部位に関連反応が出ていることが少なくありません。
この症例を振り返って
今回の施術で改めて感じたのは、身体の外側で起きていることを見立ての中に取り込む視野の重要性についてです。
「季節の変わり目だからかな」という患者さんの一言がなければ、肋骨角の硬さは単純な筋緊張の処置として進んでいたかもしれません。アレルギー症状や気象変化への反応など、運動器系の問題と並走して身体に影響を与える外的因子は、現代の臨床では見落とせないものになっています。
ストレスが多様化している社会の中で、患者さんの身体も複雑な反応を示します。「腰が痛い→腰を診る」という直線上だけで捉えていては、手が届かない部分が増えてくる。多角的な視点からの見立てと、それに対応できる施術の引き出し——この二つは、施術者として常に問い続けるべきテーマです。
今回の症例は、「総合的に判断できる施術者であること」の意味を、あらためて臨床の現場で実感させてくれるものでした。








